ほころびと繕い 1
MITTANでは、傷みや修繕の痕跡を服の価値を損なうものとは捉えず、繕いを重ねながら長く着ていただくことを大切にしてきました。ここでは、2026年9月20日、京都のアトリエで開いたオープンアトリエ「The Workshop Archive」の一環として行った、OUTBOUNDの小林和人さんとMITTAN代表の三谷による対談「ほころびと繕い ― 堆積する時間と価値の醸成」から、その一部をお届けします。
小林和人さんが店主を務めるOUTBOUNDは、東京・吉祥寺で、手仕事による品を中心に、道具と道具ではないものを並列に扱い、提案している店です。MITTANは最初のシーズンである2014年の春夏から、継続してお取り扱いをいただいています。今回はオープンアトリエに合わせ、同じ建物の2階のMITTAN KYOTOで出張展を開いていただきました。スウェーデン軍の放出品である木箱で品物を運搬、京都の店内ではそのまま積み上げて什器として使用しています。
小林 僕がずっと考えているのは、物の役割というのが、具体的な機能だけじゃないんじゃないか、ということなんです。服の機能というと、寒さから身を守ったり、身体を隠したり、地位を表したり、いろいろあると思うんですけど、それ以外に、身につけると気分が高揚するとか、逆に心が落ち着くとか、目に見えない、個人差のある役割があると思っていて。服に限らず、この器で食べるとより美味しく感じる、とか。それは器の耐久性や、どれくらい物が収まるかという、数値で測れることとは全然違う役割ですよね。名前はないけれど、人それぞれに心当たりのある価値。私はそこに「作用」という言葉を当てはめることにしたんです。一つのものの中に、機能をもたらしてくれる性質と、作用をもたらしてくれる性質が両方備わっている。それが自分のもの観なんですよね。
小林 いま作られている服は、基本的に反復生産を前提として、同じクオリティのものを一定数つくるのが前提になっていると思うんです。それを実現するには、均質性を追求しなくてはいけない。だけど、すべてが均質なものに囲まれているときに感じる息苦しさってないかな、と思ったりして。
三谷 自分たちも、新しいものを作るときは道具のようなものが作りたい、ということは考えていて。ある程度の量を量産するメーカーなので、新しいものをご提案している時点では、道具としての役割が強いものを作っているイメージです。
小林 物って、人が関わると意味を帯びてくるんですよ。Tシャツには衣服という記号が与えられていて、社会的な役割がある。包丁は切るための道具、エコバッグは何かを運ぶための道具。Tシャツって身体を隠して汗を吸うものだよね、と言っても、反論されることはたぶんないと思うんです。それは、それぞれの道具に与えられた意味を、みんなで共有しているからだと思うんですよ。逆に言うと、意味というのは他者と共有できる価値と言い換えられる。意味を共有しているからこそ、こうやって皆さんと対話ができる。意味は極めて重要だと思うんですけど、最近思うのが、この意味がちょっと幅を利かせすぎているんじゃないかと。僕は、意味を要求するプレッシャーを「意味圧」と呼んでいて、意味圧が高まりすぎている今だからこそ、時折、人は意味から逃避すべきではないかと考えるわけなんです。
文章:MITTAN